精錬所跡地。

2018/07/06

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1909年、今より明らかに文明が発展してないその時代、わざわざ島に建てたこの精錬所は銅価格の暴落によりたった10年で幕を閉じたらしい。

初めて見た時、その威圧感に感動した。

場所は犬島。
今は美術館として運用されています。

あいうえおシリーズ。
「さ」ということは、第11回目ですね。

あえてニコニコ動画の方を。


自分はレビューとかを書くとき、なかなかいきなり自分の思ったとおりに書けるタイプではなく、とりあえずレビューする作品で検索して、他の先駆者の方々のレビューを手の届く範囲でざらーっと読んだ上で、ああなんか書こうかなあよっこらせ、っという感じのタイプなんですが、今回もそれで検索して色々観てたら、今回のこの曲が入ってるアルバムを既に自分は前のブログでレビューしてましたね…。最近こういうの結構あるから恥ずかしいやらすっかり忘れてたりでつらいやら。

自分の前ブログのレビューにもあるとおり、このアルバムは前半がやたら緊張感ある力作揃いで、後半から急に脱力したポップソングが続くという、割とあからさまに“そういう構造”になってるようなアルバムなのですが、この前半でバンドの集中力を燃やし尽くしたようなアルバムの、その燃やし尽くしポイントが今回のこの曲なんです。

CD入手したらとりあえずパソコンにインポート世代だったら、インポートする際に各曲の名前と、あと演奏時間とかを見ることになると思います。そのときにこのアルバムは何曲入りで、そしてこの曲とこの曲がなんか尺長いな、アーティストのオナニー垂れ流し壮大プログレソングか?とか思ったりする訳です。するんです。する人もいるんですよ。「いちいちそんなん見ません」とか人の話の出鼻をくじかないで…。

で、この曲。明らかに突出している。なにせ9分もありますから。今自分のitunesを見る限りだと筋少の曲で最長。『いくじなし』(『SISTER STRAWBERRY』収録)の方が長いかなーとか思ったけど微妙な差でそんなことなかった。アルバム的には、筋少史上でも最高水準にハードで感情的なメタルソングが3曲続いたあとにこれが来るので、そこまでで既にお腹一杯気味なところにこの曲が執拗でどっしりした腹パンでとどめを刺しに来るような構成。ゲボが出るぜ。

さて、そんなポジションのこの曲が所謂“アーティストのオナニー系壮大プログレソング”なのかというと、半分そうだと言ってもいいかもしれない。いいやむしろ、この曲ほどの壮絶なオナニーソングが他にあるだろうか!?どういうことだろうか。

冒頭の「照射!」の連呼だけで既にこの曲の異様さは香ってくる。そこからの90年代後半ラウドロックの匂いもあるハードファンクな演奏をバックに始まる少年少女+おっさん合唱団という風情によるタイトルを含んだテーマ部の合唱は昭和のヒーローもののような凛々しいメロディで、この後のオーケンの脆弱で壮絶な語りのような、叫びのような歌唱と好対照を成す。

筋肉少女帯の、というか大槻ケンヂの歌にはいくつかの特性がある。二つ取り上げるとすれば、ひとつは楽曲中の総ての曲構造的な仕掛けや演奏が、歌の歌詞の印象を高める目的のために機能させられてしまうこと。この曲における機械のような鈍重なリズムや所々で浮かんでくるヒステリックなアコギやエレキの唸り高鳴りは、または次第に歌唱の展開が増えていくという巧みな曲構成は、まさにこの特性の最たるもので、総てをオーケンのこの曲における作家性のために捧げきっている。

そしていまひとつの特性、筋少の歌の排他性、とでも言えばいいのか。その歌詞の独特かつ毒々しくも朗々と歌われる怪しさと残酷さと虚しさのブレンドされた世界観に没入しすぎると、他のアーティストの普通な風景の歌詞が聴けなくなってしまうという特性。筋少は用法容量(アルバム一枚通してだけでも十分危険では…)を守って聴かないと、結構冗談抜きで健全なリスニング環境の妨げになるのでは…と思ってしまうことがある(そこまで濃厚なものを作れるオーケンの作家性な)。

そんな中毒的な特性のうちでも、この曲の効き目は格別だ。ただそれは、ある程度オーケンの作風に触れた、耽溺した上でこそ最高最悪の効果を発生させる。それはこの曲自体の楽屋ネタ・メタ構造、というかかつてないほどに過剰な自己言及性によるもの。

やあ!詩人/最近なんだかマトモだなあ? 
 やあ!詩人/随分普通のこと言うなあ? 
 やあ!詩人/奇をてらったりしないのかい? 
 やあ!詩人/世の中すねてる歳でもないかい?

なんか賞でも欲しいのかい?あんた何様のつもりだい?

サーチライトのつもりかい? 
 サーチライトのつもりかい? 
 サーチライトのつもりかい? 
 サーチライトのつもりかい? 

以下、野暮な解説を。
この曲でのオーケンは結局、自分の歌唱部分ではほぼ自己言及しかしていない。ここで彼は自身を「マトモじゃない詩を沢山書いて、その為に評価されたり、他人を救ったりする人物、というか詩人」と認識の上で、執拗な攻撃を加えていく。「普通になっちまったなあお前!」みたいな方面からのディスは、これは前々作『レティクル座妄想』でまさにピークを迎える筋少の退廃的・悪夢的な世界観の歩みを経た上で、今作の悲惨でありながらも比較的逞しく他者に何かしてあげようとする彼のスタンスを踏まえてあるのだろうか。

いや、ちがう/我々が思うほど/この世界は
 哀しくプログラムされちゃいない
 何より/もうこれ以上君の周りに/不幸の存在を
 俺は認めない
」 (『小さな恋のメロディ』)

うんざりするほどの絶望を振りまきながら最後に“それでも”な救いを掲げる、という作品構造はまま見られる形式であり、感動的であり、同アルバム収録の上記『小さな〜』もその構造を高い水準で構築した曲である。であるが、それを彼は攻撃・自嘲する。

そして、そのような作品を作ってしまう自分の動機に、彼は踏み込む。「なんか賞でも欲しいのかい!?」という俗物根性を用意する。しかし、『レティクル座〜』みたいなアルバムをさえ作り挙句自身が鬱病になってしまう程の創作をする目的の重みは、そんな動機だけで背負いきれるものではない(この一文読みづらいな…)。

そして彼は、この曲中間部の、演奏が凪いだ辺りから始まる“語り”、稀に見る長さの語りで、その“業”な部分に手を伸ばす。ある意味身も蓋もない、こっ恥ずかしくもなりそうな、創作の秘密を。

ここでぼくは筆を置かねばならない。このオーケン一世一代の大演説を歌詞を掲載していちいち解説するのは、いくら愚かなぼくでも愚かすぎることだもの。ただ、ここにこそ筋少の、大槻ケンヂの情けなくも感動的な要素の根源が秘められていることは間違いない。まあそんなこと、こんな拙い文章を読まなくても、ファンの方々はとっくにみんな知っていると思うけれど。。。またはある種の使命感みたいなのでもって創作してる人とか。

語り終えた後、元の演奏に戻ってより強烈に、抉るように歌唱する彼の姿。身をすり減らすことを突き詰めたことでよりその消耗の度を加速させたかのようなこの壮絶さは、決してボーカリストとして天性に恵まれた訳でもない彼にしか成し遂げられない類の歌唱の最たるものだ。

Im fallin fallin fallin/君は救ってくれるのかな?
 (『foolish』ART-SCHOOL)

突然、オーケンとはおよそ関係なさそうなアートスクールの歌詞を引用した訳だが、たとえばこういう問いかけがあるとして、そこで本気で、なけなしの屁理屈でもって救おうとするのが、詰まるところ大槻ケンヂの作家性の一端なのだ、ということ。『レティクル〜』辺りでどん底った前後に彼が、おそらくそれによって自分も救われるために、編み出した術のこと。

香菜、君の頭僕がよくしてあげよう
 香菜、生きることに君がおびえぬように
 香菜、明日 君を図書館へ連れていこう
 香菜、泣ける本を 君に選んであげよう
 香菜、いつか恋も終わりが来るのだから
 香菜、一人ででも生きていけるように

 (『香菜、頭をよくしてあげよう』)

この後彼が彼の別バンド特撮や『さよなら絶望先生』各主題歌等も含めた諸作品で、妙に身近で閉塞したシチュエーションと対置させ拮抗させる(しょっちゅう負ける)この類のヒロイズムこそ、彼の祈りなんだということ。そういうことなんです。そこを「現実は厳しい。なんだかんだで救おうとするオーケンは甘え」とか「オーケンの歌詞に救われるような奴はクズ」とか言って冷笑するだけの厭な人間には、死んでもなりたくないな。


この、結果わけ分かんなくなっちゃった文章の最後にひとつ。結論を「祈り」で文章を締めるとそれっぽく感動的になりますよ。ね。

愛は祈りだ。僕は祈る。
 (『好き好き大好き超愛してる』舞城王太郎)

創作の秘密をぼくらの手に。レビューの機能・野望のひとつはその辺りにあるのかもしれません。

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せっかく服を買うなら、気に入った服を買ってお金がムダにならないようにしたいですよね。何も考えずにふらっと服屋さんに入って、なんとなく気に入ったから買ってしまった服は、実際に家に帰ってから着心地が悪いことに気づいたり、持っている服とコーディネートがしにくかったりして、着なくなる可能性が高いです。

 

「せっかく買った服をムダにしない=お金を無駄にしない」ということなので、いらない服を増やさないためにも、服を買うときには「なんとなく」ではなく、「意識して」服を買うほうがいいです。

 

お金がムダにならない、服の選び方・買い方をご紹介します!

 

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欲しい服リストを作っておく

いらない服を増やさないためにも、服を買うときには「なんとなく」買うのではなく、買う服を決めて買いに行きましょう。普段から、欲しい服リストを作っておくといらない服は増えません。

 

欲しい服リストを作るときには、ざっくりと「ワンピースが欲しい」と書くよりも、どんな素材のワンピースか?色は?丈は?など自分の中でイメージをして細かくメモしておくと、服を買いに行ったときに迷いません。自分の理想の服が見つからなければ、妥協せずに探し続けるほうが、お金も無駄にならないし、いらない服を増やさなくなります。

「欲しい服リスト」のメリット。着ない服を増やさないために、欲しい服リストを作る。 - ひつじ日和

 

試着する

服を買うときには必ず試着しましょう。服屋さんで店員さんに声をかけられるのが苦手な場合は、気軽に試着ができるGU,ユニクロ、しまむらなどのお店で、自分が気に入る服が見つかるまでたくさん試着しましょう。

 

自分に似合う服を見つける唯一の方法は「試着」だと思っているので、一度買ってサイズや素材が分かっているとき以外はネットショップでの買い物は控えたほうがいいと思います。たくさんの服を試着して、どういうデザインの服が自分に似合うか、どういう色が自分に似合うかが分かってきたら、ネットショップでお買い物を楽しみましょう。

似合う服を見つける唯一の方法。 - ひつじ日和

 

手持ちの服と合わせやすいか考える

服を買うときには、その服が手持ちの服を合わせやすいかもポイントになります。試着して、その服自体は気に入っても、自分の持っている服と合わせにくかったら、着る機会は少なくなります。

 

自分が持っている服を把握するためにも、定期的に持っている服をチェックするのがおすすめです。持っている服をチェックするときに、スマホやデジカメで写真を撮っておくと、買い物に行ったときに「自分はどんな服持っていたっけな?」とすぐに確認することができます。

 

さらに、持っている服をチェックしつつ、いらない服は断捨離して、「今の自分」に必要な服を「欲しい服リスト」に追加しておけば、クローゼットはいつも必要な服だけになります。

 

セールの時に慌てて買わない

セール中は服を買いに行かないほうがいいです。セールに行くと、安いから買わなきゃ!という意識が働き、いらない服まで「いる」と思い込んで買ってしまうことになります。本当に欲しいと思っていた服がたまたまセールになっていれば、買ってもいいと思いますが、セール中は色やサイズが欠けていることが多いし、人が多くてゆっくり試着もできないので、「お得、安い」という言葉に弱い人や、周りの雰囲気に流されやすい人はセール中の服の買い物をやめたほうが、お金がムダにならず、いらない服も増えません。

服を増やしたくないなら、セールや福袋で服を買わないほうがいい。 - ひつじ日和

 

お金がムダにならない服の選び方まとめ

・服を買いに行く前に「欲しい服リスト」を作っておく

・必ず試着する

・手持ちの服と合わせやすい服を買う

・セール中に買い物に行かない

いらない服を増やしてお金をムダにしないためにも、本当に必要な服だけを買うように意識するといいですね^^

 

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・不用品をリサイクルショップに売るなら、高く売れるタイミングを逃さない。 - ひつじ日和

・少ない服で暮らしたい人におすすめ。ベーシックな服を買うことができるネットショップ。 - ひつじ日和

・清潔感さえあれば、服装も髪型もなんでもいい。私が思う清潔感のある服。 - ひつじ日和

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Official Billboard Hot 100 Top 10(2015/10/3)

Billboard Hot 100 - Top 100 Singles (2015/9/26)

INO HEAD PARKツアー参加します! 東日本大震災復興支援チャリティーツアー ぼくらと歌おう♪ ドレミファソラシドン! 04/30 柏PALOOZA 05/05 本八幡ルート14 05/06 大塚RED-Zone 05/19 大阪MUSE 05/20 名古屋HeartLand STUDIO 05/29 SUNPHONIX HALL in YOKOHAMA ARENA 06/11 高田馬場CLUB PHASE 新Vo【SORA】が加入しての初ツアー 皆様お待ちしてます! http://www.inoheadpark.com/ http://www.inoheadpark.com/mobile/ ココちゃん http://plaza.rakuten.co.jp/showchan/diary/201104200000/

この2作品、駄目な所を挙げたらキリがないくらい沢山の欠点がある。この記事では、その中でもまだ誰も指摘してない(と思う)大きな欠点を1つ取り上げる。

 

その欠点は、麻枝准が長い間、ギャルゲーという特殊な媒体でシナリオを書いてきたことに起因する。ギャルゲーはヒロインごとにシナリオがあり、それぞれのシナリオは断絶されてる。CLANNADのことみシナリオは、Key作品では珍しく他のヒロインも最後まで出ずっぱりだが、そこで展開される話はことみのみで、他ヒロインのシナリオが同時に進むわけではない。

 

ここで何でもいいのでアニメを幾つか思い浮かべてほしい。進撃の巨人、コードギアス、がっこうぐらし。普通、アニメのシナリオはメインシナリオという大きな道路があり、ほぼすべてのキャラが横一列に並んで一緒に歩いている。「メインシナリオを1つ進めよう。じゃあ今回はこのキャラとこのキャラにスポットを当てよう。次の展開ではこのキャラの秘密を明かそう」

 

1つのメインシナリオがあり、その中で起きる事件、イベント、戦闘と、ほぼすべてのキャラのシナリオが絡み合ってる。これが普通だ。

 

で、AB!とシャロである。

 

まずはAB!だ。ラスト直前、ゆりっぺが単身、ラスボスのいる部屋に突入する。うん、この時点ですでにおかしい。主人公の音無はこの時何してたっけ?たしか天使ちゃんの所だっけか。まあ、それもそのはず、だって音無は天使ちゃんとのアレコレのために作られたキャラなんだから。ゆりっぺの神への抵抗とはまったく関係ない。いや、音無だけじゃなく、すべてのキャラが「ゆりっぺのシナリオ」と関係ない。仮にラスボス突入時にゆりっぺ単独ではなく、例えば日向が一緒だったとしても、それはことみシナリオに他のヒロインが登場するのと同じレベルでしかない。

 

そしてラスボスである。この話の放映前、ネットでは、このキャラが黒幕だ。いやあのキャラだと予想する書き込みを結構目にした。しかし、蓋を開けてみたら、そこに立ってたのはなんかよく分からん新キャラ。視聴者ポカーンですよ。でも僕は、麻枝があえて戦線メンバーを黒幕にしなかったのだとその時は思った。意外なキャラを黒幕にして視聴者を驚かすなんて安易すぎるからそこは外していこうと。しかし、シャロによって、麻枝の中には戦線メンバーを黒幕にしようなんて発想はそもそも無かったのだ気づいた。何故その発想が無かったのか。それは戦線メンバーにはそれぞれに(メインシナリオとは関係ない)個別のシナリオがすでに用意されてるから。だから黒幕は黒幕で新たに用意する。シャロで言うと海外のプロも同じだ。普通のアニメならここで高城あたりに「実は裏切者でした」という役割を与える。

 

つまり麻枝作品は、一人ひとりに細い道があり、スポットの当てられたキャラだけが歩く。時に他のキャラがスポットの当たってる道に顔を出すが道の外から見てるだけで何かの役割を持ってるわけではない。

 

次はシャロ。まあ、言わずもがな、あのアイドルである(もはや名前も忘れた)。多分、麻枝が生み出したキャラのワーストはこいつだろう。キャラ自体の魅力とシナリオ、2つの意味でね。このアイドルが加入する回の感想で見かけたんだけど、このアイドルを付け狙ってた大物プロデューサーを科学者連中の仲間と勘違いしてる人が数人いたんだよね。まあ分からんでもない。能力を持ったメインキャラが誰かに狙われてる。メインシナリオと関係があると思ってしまってもしょうがない。で、現実はというと、最初から最後までメインシナリオとはまったく関係なかったっていう。彼女1人だけならともかく、妹ちゃん救済後の空気っぷりや、もはや言葉もないジエンドのアレ。麻枝にも言い分はあるだろう。つまり、シャロは主人公とヒロイン、2人だけの物語なんだと。他のキャラを絡ませないのは意図したことだと。が、これは言い訳にならない。最終話はあれで良い。2人の話がメインなんだから。しかし、ラスト以外の所でいくらでもメインシナリオと絡めるチャンスはあった。絡めると言っても、海外のプロとの戦闘に高城やアイドルを参加させるとか安易なことではない。そのキャラが抱えてる問題や秘密が、メインシナリオと密接に絡んでいて、そのキャラの話を進めることが、同時にメインシナリオを進めることにもなる。これが普通の物語だ。

 

麻枝がこのようなシナリオを書いてしまう原因として、ギャルゲーのシナリオをずっと書いてきたこと、と最初に述べた。しかしこれ、本当は正しくない。今、アニメ業界にはギャルゲー出身のライターは珍しくない。その中で麻枝と同じ欠点を持った人を僕は知らない。つまり、不思議なことに、麻枝だけがギャルゲーシナリオと同じ書き方でアニメを作ってしまってるということだ。

 

答えは単純明快だ。麻枝にアニメを作る才能は無い。

 

って、何だこの文章は(ドン引き)。これでも生粋のだーまえ信者なんだけど。アンチ以外の何者でもないな。まあ、でもこれが偽らざる僕の本音です。

SNSの今の理想

2018/04/09

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 SNSの理想の姿は、趣味でつながる、もしくは趣味まで行かなくても興味がある事柄でつながることだと思っていた。つながりが増えるのがいいことだ、と思っていた。
 そこには一個人という、情報があり、マスメディアには乗らない、ささやかなおもしろさがあり、みんなでそれを共有できると思えた。
 しかし、ユーザーが増えて、みんなの興味が揃う、例えば新製品をみんなで食べてみるということはなくなったと思う。より細分化された興味に、人は独自性を見いだしているのかもしれない。
 そしてネットで遊ばない人にとって、見知らぬ人をフォローするというのは馴染まなかったようで、つながりがどんどん増えたという人は、少なかったのだと思う。

 私は炎上した経験もなく、特に問題なくSNSを使っているつもりなのだけれど、最近SNSを使いにくいとか、思っていたのと違うなという感じがある。
 私のつぶやきを見ている友人を気遣うだけでなく、友人の友人をdisらないようにしないといけないとか、とにかく制約が多くなってきているのかなと思う。
 となると、面倒がいやになった普通の人は、猫の画像か、ごはんの画像くらいしかポストできなくなってしまうのではないか。そういうことに向かわない人は、壁に向かって独り言を言っているような状態になってしまうのかな?でも思うのである、それはやっている本人は面白いのかなと。
 当初SNSの理想にあったような、興味のあることでつながるというよりも、ある種自分が特権的にSNSにアップロードできることを増やしたい、FBに見るようなリア充自慢が増えている気がする。

 そしてエアリプで可視化されるやりとり、RTも含めて、例えばAさんに向けての個人のつぶやきに、Bさんは快く思わないという、グレーゾーンなことが発生して続くことになると、ミュートするかフォローを外すしかなくなる。
 顔を合わせての会話なら、話をそちらへ行かないようにするなど、工夫はあると思うけれど、SNSでは相手が素面なのか、落ち込んでいるのかもよくわからない場合がほとんどだ。そういう相手の状況がよくわからない状態では、私人としてSNSで振る舞われても、どう感じ取ればいいのか、難しい。
 そういうSNSの難しさを、肌で感じている人は、SNS上で私人から、まるでセルフブランディングしている公人のように、振る舞うようになってきている気がする。

 しかし、SNSはやっぱりつながりが基本にはあると思っているので、差し障りのないことでつながるのは、やっぱり物足りない気がしてしまう。
 チラシの裏というような、日常のささやかなSNSの中に、個人が本当に興味のあることを追求している姿をみたりするのは、それだけでは面白くない。それを誰かに伝わるように自分で工夫できたときに、とても面白くなるのだと思う。
 そしてそういう面白さは、個人でbuzzる必要はなくて、というかそんなことは普通の人には無縁なもので、100人いたら10人くらいがわかってくれるくらいで上出来なのだと思う。
 となると誰とでもつながるのがいいことではなくて、特定のSNSの中でも限られたメンツでつながっているのが、現状のSNSでは、いいつながりなのかもしれない。

この話は夢落ちがテーマでした。

飛んだ日が真の現実となります。[3、6、10、13日]

バットレンジャーシリーズ1

                    「真・闇夜に咲く花」

ルーブル美術館の吹き抜け部分!!

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高い!!
彫刻綺麗!!

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天気が良くって陽がすごい入るので明るくて綺麗〜(≧∇≦)!!

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僕が旅をしていた時、毎日がインプットだった。

初めての海外、初めての一人旅。

 

アジアに一人旅をしたのはバックパッカーの聖典「深夜特急」の影響からだった。中学3年生の時に読んで以来、高校生になっても、大学生になっても、小さな文庫本を何回も何回も読み返した。 

いつかこんな旅ができたらな、と。

 

時は流れて、大学3年生の冬。就活。大学生活に夢中になって、あんなに憧れてた旅をすることなく、大学生活を終えようとしていた。

 

あれ?これでいいんだっけ?

 

そんな心の声は日ごとに大きくなって、それ以来形の違うジグソーパズルを無理やりはめ込むような日々が続いた。そして気づけば関空発バンコク行きのエアアジアに乗っていた。

 

それまでイメージの中でしか存在することのなかった「海外」が僕の全身を包み込み、毎日脳みそがバチバチしてた。

 

海外は危ないものって頭の中で思い込んでたから、バンコクの道を初めて歩いた時、手の中に携帯電話を持つのも怖かった。ポケットの財布はすられるんじゃないかと思って、両手をポケットから出せなかった。

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バンコクの道で怖々ポケットから携帯を取り出し、画面も見ずにシャッターをきった

 

 

でも数日後には「あれ、案外危なくないな」って気づいた。あんなにビビってた自分に少し笑ってしまった。

 

インドでは僕の探してた景色がいつもそこにあった。

街の喧騒、砂埃、人々の話し声、チャイ、路地の闇。話の通じない客引き、交差点に突如として現れる象の軍団、目の前でぶっ倒れる人。

 

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自分の存在なんてあってもなくても、せわしなく周り続ける彼らの日常に圧倒され、街に繰り出しては毎日「これがインドか…」って頭の中でつぶやいた。

 

これまで20数年間僕が見てきた常識、景色とは似て非なるものだった。国が変われば、常識なんて簡単に180度変わるな、って自らの実感として感じたのはこの時だった。

 

最後にそんな感じを味わったのはいつだろうか。人間っていうのはこうやって年老いていくのかな。

 

またいつか、あの高揚感に包まれた、毎日心が震えるような、それまでの常識をぶっ壊すような、素晴らしい旅に駆り出されたい。